2488 ( 日々の出来事 )

自分が持って居る財産という言葉を聞いて、何を思い浮かべますか。多くの人は貯蓄という程のものは持ってはいないし、また動産不動産にしても所謂(いわゆる)庶民レベルのものでしょう。そういう物的な財産を思い浮かべる人は少ないと思います。それよりは自分の内側に持っているものの方を財産と見做すのではないでしょうか。ところが、では自分の内側の財産と言われて『此れがそうだ』と具体的に言う事の出来る人も少ない筈なのです。兎に角今毎日毎日今を、今日を生きる事が精一杯で、財産と呼べる程のものを蓄積出来ていない人の方が圧倒的に多いのだと私は思います。愉しみは有るでしょう。大抵の人が持っている筈です。でもそれを恒久的な財産とまでは謂えないでしょう。

此の自分の中に貯まっている財産とは、詰まる処自分が挑戦して得た『結果』ではないでしょうか。『実績』ではないでしょうか。多分それだけが財産と呼べるものだと思います。従ってそれが無い、挑戦して来た経緯そのものが無いと、裡(うち)に財産が残されないのです。中高年になると此れが人を呆然とさせ、その最早目の焦点が合っていない様な顔と、何にも集中する事の出来ない精神の致命的な散漫を作るのだと私は思っています。恐らく、間違ってはいないでしょう。

物質的な財産らしいものは、別に無くても人間の気が狂う事は有りません。しかし精神的にそれが何も無いならば、人は軈(やが)て自分を純然たる被害者と見做す様になり、不満に満ちた存在になるでしょう。呪う事以外は出来ない様な。私の今迄に見て来た尊敬出来る人達の人生の終盤とはあまりに異なるそんな相貌に、私はなりたくありません。だから私は今日も、何かしらに挑戦したいのです。『其処(そこ)には若しかしたら、私の求めるものが在るのかも知れない』と思って。