人間の条件を読了。

筑摩書房 人間の条件 / ハンナ・アレント 著, 志水 速雄 著: http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480081568/

うん。ふつうに読み下せた。

この本を「難しい」とか言ってるやつって、ダメすぎじゃね?

この世界という時に指しているものがなんであったのか?をハンナの身になって読んでいけば、そんな難しいものはなにも出てこない。

まぁ、政治っていうものを客体化して思考する政治哲学が、そんなに難しいわけがないんだけどね…

特に、過去の世代が自らの視たものとしたこと・しなかったことを離れずにそれをマジメに考え抜いて出してきたものならば。

ハンナにとって「世界」といえたものは、その基礎づけを問わず・疑われることもなく「漠然として存在している・機能している」と思い込んでいた「視えない部分」が、

機械を交換するように・システムをバージョンアップするように一晩で「無効」になり、

以前にあったはずの基本的で大事なコトは世界まるごとを支えておらず包み込んでもいなかっただけではなく、

それらすべてが「条件を付けされ、習慣化され、値札が付き交換価値しか持たない根本的に無意味・無意義なものの大系」という落ちぶれかたをしたという「驚き」と「折り合いをつけられない無能力といったもの」の立場で20世紀の最初の半分が目の前のリアルとしてどうしようもなく広がっていた者が描いた「それでもすべては存在している」ということへの「怖れと、自分の正体とともに生きていることの誇り」が述べられている。

そのことの切実さや切迫は、とことん、「すべてなんかじゃなかった」ものの根源・はじまりにまで立ち返る・空言ではない思考の源流になんどでも引当つづけることを頑固にやり遂げている姿勢や、

いかなる時にもいる「とある現在」を共有して共通の感覚をもっているはずなのに、まったくフマジメな連中を糞みそにしてみせる(今ならシステムをクラックするように)ときの愉悦からも「ただごとじゃなかった」んだろうと察することができる。

…ただ、わたしにとって、書かれていることが「むずかしくない」のは、書かれていないことをアタマにおいて査読するような卑怯な連中みたいなことはしないで、ちゃんと読むだけだからかもな…

ハンナにとってもっとも恐ろしいものだったのは、人間には共通感覚をもつことができないものばかりが「ほんとうのこと」なのだと明かされていくだけの「知の暴走」がはじまった20世紀の半分に対して、

それでも「人間であれる条件」はありえるしそれをもたない者たちは「ほんとうのこと」がどんなものであれ「抗う術」を喪失する…という「政治という権力を巡る戦い」を考察する者なら当然、考えていなければならない「危険」を指し示してもいる。

量子の発見から「すべては純然たる数学構造だけから成り立っている」とするところまで「存在しているもののメカニズム」が「かしこぶるのに都合がいいクリシェ」となり、

存在してしまったものは、それぞれに異なる時空に囚われた「虜囚」でしかなく、実際の事態を完全に共有する可能性はまったくないことを述べている相対性理論から「時空が完全に崩壊する極限だけが宇宙で絶対的な事象=実在の謎」であり「この宇宙だけでなく、可能なすべての宇宙の実在を前提にしなければ、林檎が落ちることさえほんとうのことではない」ことぐらいはだれでも理解できなければ「正規の賃労働者にはなれない」レベルにまで大衆化された消費する機械の群れとともに「各人それぞれの”正体”」は生きていられる…そんな「状況」からはじまっているこの世紀「21世紀」に、

わたしたちはどうしようもなくそこに在るとしか思えない「世界」に切実な・切迫したものがどれだけ放り出されてそこらじゅうに満ちているのかを「怖れ」ていないし、

ほんとうには「人間でいることはコストでしかない」という妄言・誘惑に流されて行こうとしているかのようにも視える。

だが、そんな「何年後かの教科書には載る」ことをいい歳こいて理解しようとしない・だれかにそういう「仕事」は任せて「たのしく穏やかな生を和やかに送っているだけでいい」などという実に下賤で野卑で「自分自身のありさまと自己が矛盾していることにゲロを吐きたくならない・恥知らず」な連中とはまったくカンケーをもたないで生きられるありかたのひとつを、正直に見せてくれているのもこの本なんだろう。

…この本をちゃんと読んでもむずかしい子は、「条件を満たせていない」「満たす能力を喪失してしまった」んだと「正真正銘の危機感・自分しかわかるものがいない最底辺でしか味わえない恐怖」とともに死をまっているしかないのかもしれない(それは、19世紀の後半ですでにかなりの人口数がそれしかない世界に置かれていたしそこから脱出できる速度は無限でも足りない)。

読後感は、そんなカンジ…そして、ハイデガーのような知の在りかたと男としての生きかたの「矛盾も不合理も超越的な現象もなにもかも処理して見せる意志」に、なぜ、ハンナがあんなに「愛を抱いて生きた」のかも「きもちは、スゲーわかる!」のだなぁ…

…さて、わたしたちはどれほどの「人間の条件」と「機械の条件」と「条件付けをする者の権利」を求めていこうか…とゆー問いを受け止めなければね